ある日曜日の昼下がり

日曜日が安息日であることを知らされたのは、村上龍に似たイスラム人からだった。休みを取らないと大変なことになるというような。その時、イスラムの女の人が肌を見せないことも話題になった。スカーフを頭に巻き真夏でも長袖でないとならないらしいという話だ。最近では、それにマスクが必須になり、サングラスなどをかけると犯人像のような姿になりやすい。顔を隠し、肌を隠し。隠すことで、低空飛行ではないが、犯人と同じような低い列に並んでいるように見えるという。高い低いという話を民度だと述べる政治家が以前いたのだが、民度だけでは説明がつかないということをハリウッド俳優が示していた。オーシャンズという映画に出演していたマッド・デイモンがキャップをかぶり普通のコソ泥になるシーンがあるのだが、怪盗を気取るハリウッド俳優然としたマッド・デイモンとの違いというものを幾度となく力説された。その力説による影響でか、そうした印象による高い低いという違いというものが、犬や猫の血統書ばかりでなく人にとっても重要なことなのではないかという話が持ち上がるのである。だが、高い低いという犬や猫の血統書や値段の熾烈な争いというものが、人間の想像を超えるほどの屈辱や殺意で恐ろしい戦いによるものらしいことから、人というものについての尺度としてどうなのかという話になるのである。大学生の風情でコソ泥になってしまう政治家や勝手に猿と化して覗いて同じことをしたら払ってもらえるのではないかと思い込んで乗り込んでしまう借金女や手足をねじ切って手羽先のように売ろうとする臓器を売った黒人奴隷より低い借金女など、31年目にして再び遭遇するにあまりに低すぎる屈辱女たちが、お金だけは返しに来る約束を32年目には守ってもらいたい。動かないという人間の世界を理解できないことが、そんな借金世界を作るようなのだが。鞭打ち無理やりわけのわからないことを言った!という借金世界に、言っても聞かない!というのは人間変わらないのである。

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